7月31日 説教を受けて 「イエス様のバプテスマ」


   詩編42篇1~4節、ルカによる福音書3章15~22節

 民衆はメシアを待ち望んでいたので、ヨルダン川で多くの人々に洗礼を授けている洗礼者ヨハネをメシアではないかと思っていた。しかし、ヨハネは、“わたしは、わたしの後から来られる方の履物のひもを解く値打ちもない”とイエスを指し示す者としての役割に徹し、ひたすら主の道をまっすぐに整えよと民衆に悔い改めの洗礼を授けた。

 コリントの信徒への手紙Ⅱ4章【土の器に納めた宝】5節で、「わたしたちは、自分自身を宣べ伝えるのではなく、主であるイエス・キリストを宣べ伝えています」とパウロは記している。1953年から2年間、新設された国際基督教大学に招聘された神学者エミル・ブルンナーは日本を離れる最後の講義で次のように語ったと言われる。「私は、イエス・キリストの栄光の光を示すべきランターンの周りを自分の名前で埋め尽くしてしまってイエス・キリストの光を覆ってしまったのではないか」と。改めて、イエス・キリストに従いイエス・キリストを指し示す証し人としての役割の大切さと難しさを感じる。

 罪のない、悔い改めの必要もないイエスがなぜ洗礼者ヨハネから洗礼を受けなければならなかったか。マタイによる福音書によると、ヨハネの制止に対しイエスは、「今は、止めないでほしい。正しいことをすべて行うのは、我々にふさわしいことです。」とお答えになった。イエスは罪人であり悔改めを必要とするわたしたちと同じ立場にご自身を置き、神のみ心、即ち私たちを神のみ国へと導く道を選ばれたのである。イエスは「あなたはわたしの愛する子」「わたしの心に適う者」との天からの声を聞かれた。それは苦難の僕としての道であり、十字架への道である。

 「わたしの後に従いたい者は、自分を捨て、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい。」のみ言葉生きる者と成らしめてください。

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