先週の説教(2016年8月21日)を受けて 『すでに実現した』

イザヤ書 61章1~4節
ルカによる福音書 4章14~30節


 イエス様は“霊”の力に満ちてガリラヤに帰られたとあるが、聖霊とは「教え、整えてくださる方」と言い表すことができる。つまり、福音を教えてくださり、御言葉を聞き行うのに相応しい状態に整えてくださる。そして、「聖霊によらなければ、だれも『イエスは主である』とは言えないのです。」(コリントの信徒への手紙一 12章)
 聖霊の力に満ちたイエス様は、教え、整える方としてナザレに戻られた。そして霊に満ちた言葉で語って整えようとしたが、ナザレの人々は受け入れなかった。更にユダヤ人ではなく異邦人に遣わされたエリヤ(列王記上 17章)やエリシャ(列王記下 5章)を例に、ナザレの人々に「本当にそれで良いのか?」と問うている。しかし、ナザレの人々は完全にイエス様を拒絶した。
 私達の心の中にも、このナザレの人々のようなものはないだろうか?私達を整えようとする聖霊の働きを歓迎できない思いはないか?イエス様は私達に「それで良いのか?本当にそれで良いのか?」と問うている。整えてくださる手を拒んではならない。現代には、ありのままが良いという風潮があるが、信仰は整えられなければダメである。からし種ほどの信仰さえあれば良く、次のステップとして、その信仰を育ててくださる神様を求め、聖霊の働きを祈りつつ求めることが大切である。
 私達の信仰生活は、この繰り返しである。聖霊に満たされて成長し、栄光から栄光へと、神の御姿に造りかえられる。祈りつつ求めていきましょう。(日吉実)

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