先週の説教(2016年9月18日)を受けて 『命から命に至らせる香り』

詩編 16篇1~11節
コリントの信徒への手紙Ⅱ 2章5~17節


 本日の聖書の箇所で、悲しみの原因になった人や原因について語っていないが、パウロにとってそれは重要でないからである。悲しみの原因になった人も多数の人も、主イエス・キリストから愛され、赦された者として主イエス・キリストに結ばれているからである。悲しみの原因になった人から離れればよいというものではない。何故ならば、その人も神様から愛されている者だからである。
 このコリントの教会で起こった問題は、私達の教会でも起こっていないだろうか?本当は一緒に祈っているべき人が去っていってしまったことはないだろうか?赦すとは、忘れるなどという消極的なことではなく、相手のために恵みを与えて相手が生きる力を得て元気になるように励ますことである。パウロが赦すと言っているのは、その力がイエス・キリストにはあり、その力の中に自分も置かれていることを自覚しているからである。
 主イエスが「口に入るものは人を汚さず、口から出て来るものが人を汚すのである。」(マタイ15:11)と教えているように、私達の心から、口から香りが出る。心の中に欲望・妬み・憎しみ・呪いなどがあると、口から出るのは死から死に至る香りである。神様に捧げる賛美・祈り・感謝・奉仕を、神様は喜んで受けてくださる。そして、それが復活・永遠の命といった命から命に至らせる香りとなっていく。
 パウロが問うている。「このような務めにだれがふさわしいでしょうか。」それは私達一人一人である。今週も、キリストの香り(命から命に至らせる香り)を放ちながら、この世の歩みへと出ていきたい。(日吉実)

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