テーマ:説教要約

9月11日 説教を受けて  『あなたは神の子です』

  ルカによる福音書2章25~38節  富士見丘教会に集うすべての者、CS生徒、保護者と求道者、教会員が一堂に会し、敬老お祝いファミリー礼拝を守れたことは感謝であった。人生の歩みは、神を愛し信頼する一人一人の歩みの上に、神の愛と祝福が積み重ねられていく歴史であるとのメッセージが与えられた。曰く、「白髪は輝く冠、神に従う道に見いださ…
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先週の説教(2016年9月18日)を受けて 『命から命に至らせる香り』

詩編 16篇1~11節 コリントの信徒への手紙Ⅱ 2章5~17節  本日の聖書の箇所で、悲しみの原因になった人や原因について語っていないが、パウロにとってそれは重要でないからである。悲しみの原因になった人も多数の人も、主イエス・キリストから愛され、赦された者として主イエス・キリストに結ばれているからである。悲しみの原因になった人…
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先週の説教(2016年8月21日)を受けて 『すでに実現した』

イザヤ書 61章1~4節 ルカによる福音書 4章14~30節  イエス様は“霊”の力に満ちてガリラヤに帰られたとあるが、聖霊とは「教え、整えてくださる方」と言い表すことができる。つまり、福音を教えてくださり、御言葉を聞き行うのに相応しい状態に整えてくださる。そして、「聖霊によらなければ、だれも『イエスは主である』とは言えないので…
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8月14日 説教を受けて 「私たちの勝利」

  申命記6章10~19節、ルカによる福音書3章23節~4章13節  洗礼者ヨハネからバプテスマを受け、「あなたはわたしの愛する子」「私の心に適う者」という天からの声を聴かれたイエスは、神のみ心のままに人間の罪の執り成し手として十字架への道に向けての歩みを進められた。福音記者ルカは、その前に「イエスの系図」と「荒野の誘惑」につ…
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7月31日 説教を受けて 「イエス様のバプテスマ」

   詩編42篇1~4節、ルカによる福音書3章15~22節  民衆はメシアを待ち望んでいたので、ヨルダン川で多くの人々に洗礼を授けている洗礼者ヨハネをメシアではないかと思っていた。しかし、ヨハネは、“わたしは、わたしの後から来られる方の履物のひもを解く値打ちもない”とイエスを指し示す者としての役割に徹し、ひたすら主の道をまっす…
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先週の説教(2016年7月17日)を受けて 『アメイジング!グレイス!』

ヨハネによる福音書 3章16~17節  「アメイジング・グレイス」を作詞したジョン・ニュートン牧師のお母さんは非常に熱心なキリスト教徒で子守唄の代わりに讃美歌を歌うような人であった。しかし、7歳の時にお母さんが病死、ジョン先生は寂しい少年時代を送った。そして17歳の時にお父さんに憧れて船乗りになったが、荒れた船上での生活でジョン先…
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先週の説教(2016年6月19日)を受けて 『人生の転換』

イザヤ書 40章1~5節 ルカによる福音書 3章1~14節  本日の聖書の箇所は、ルカによる福音書に独特の記載である。一つは、証拠立てて年代をはっきり示し、事柄の真実性を訴えていること。これから語るイエス様の福音が真実であることを示している。そして、もう一つは、預言者が召命を受ける時などに使われた旧約聖書的な言い回し(「神の言葉…
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6月12日 説教を受けて 奨励 「いつでも、どこでも、だれにでも」  佐藤義孝兄

   聖書:詩編71篇15~19節  「今日、この御言葉が与えられました。」み言葉によって一日を始めることが出来る事はキリスト者として恵みであり、慰めであり、励ましです。聖書を開き、或いはローズンゲンのような日々の聖句や信徒の友の“日毎の糧”によってその日の御言葉を与えられることもあるでしょう。しかし、悲しみや苦しみ悩みなど心…
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先週の説教(2016年5月15日)を受けて 『シャカイナグローリー』

ハガイ書 2章1~9節 使徒言行録 2章1~13節  ペンテコステは、私達にとって非常に重要な日である。ペンテステの出来事が無ければ、聖書のイエス様の十字架と復活の以後の出来事がなかったことになってしまう。聖書は福音書で終わりとなり、イスラエルから八千キロ離れた日本に住む私達に福音が伝わっていないことになる。使徒達・聖霊の働きな…
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5月8日 説教を受けて 「愛しておられるから」

詩編84篇11~13節、ヨハネの手紙Ⅰ 4章7~11節  母の日ファミリー礼拝が教会学校の子どもたちと保護者の方々とご一緒に守られたことは誠に感謝であった。礼拝後もご一緒にテイータイムを楽しみ懇談の時を持つことができた。田所慈郎先生のメッセージの中で、2016年度はこのようなファミリー礼拝が6回企画されていると話されたがこれか…
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先週の説教(2016年4月17日)を受けて 『健康的なクリスチャン生活の秘訣』

申命記 26章16~19節 ガラテヤの信徒への手紙 5章16~24節  本日の聖書の箇所でパウロは、福音の真理をいかに実生活に適用していくのかを語っている。私達の中には古い性質(肉の欲望で自分を満足させる自己中心的な性質)と新しい性質(イエス様を信じる結果、聖霊によって与えられた神の子としての性質)があり、日々の生活の中で主導権…
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先週の説教(2016年3月20日)を受けて 『私たちを用いられる主』

エフェソの信徒への手紙 4章11~13節  本日、礼拝後に定期総会が行われる。教会総会は、主の御心を示される時である。私達は主が来年度に富士見丘教会をどのように用いられようとしているかを確認して進めていく必要がある。  聖書に記されている「五役者」(富士見丘教会では長老職にある者)の役割は、率先して喜んで主が与えてくださるものを…
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3月13日 説教を受けて 『教会を建て上げる主』

  エフェソの信徒への手紙 4章11~13節  3月20日は、年1回の教会総会が開かれ総会資料を基に2016年度の教会の歩みの目標が教会員全員で話し合われ合意を得て決定されます。2016年度の歩みの目標の作成過程で、創立100周年を視野に入れて富士見丘教会をどのように建てていくか教会員からアンケートを取り、オリーブの会、長老会…
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先週の説教(2016年2月20日)を受けて 『イエス様を伝える』

詩編 1篇1~6節 ガラテヤの信徒への手紙 4章1~20節  なぜ私達は祈る時に父なる神様と呼ぶのか?イエス様も使った「アッバ、父よ」のアッバとは親密な間柄で使う言葉で、日本語でいえば「お父ちゃん」に近い。私達はイエス様の十字架によって天の父なる神様との壊れた関係を修復され、神の子としての身分を与えられており、イエス様と同じよう…
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2月14日 説教を受けて   『ほかにはない』

   創世記15章1~7節、ガラテヤの信徒への手紙3章15~29節  3章の前半でパウロはガラテヤの人々に対して「律法の実行ではなく、イエス・キリストへの信仰によって義とされる(救われる)」との福音の真理を彼らの信仰の祖であるアブラハムの信仰によって説明しましたが、後半の今日の聖書個所ではアブラハムへの神の約束とモーセの律法との関…
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先週の説教(2016年1月17日)を受けて 『虚勢を張らず』

イザヤ書 56篇9~12節 ガラテヤの信徒への手紙 1章11~24節  ガラテヤの教会では、信じる信仰だけでは救われず、律法を守らなければならないという、パウロの告げた福音と違う福音を唱える指導者が教会を私物化しようとしていた。それに対してパウロは、純粋な福音の真実性を証しし、福音は人間が作り出したものではないということを強調し…
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1月10日 説教を受けて 「何に頼るのかで決まる」

  イザヤ書57編14~21節、ガラテヤの信徒への手紙1章1~10節  ガラテヤの信徒への手紙は、パウロが福音の真理をめぐって混乱しているガラテヤの教会に宛てて福音の真理とは何かを指し示して正しい福音に立ち帰るよう語り掛けた手紙である。その中心的メッセージは「けれども、人は律法の実行ではなく、ただイエス・キリストへの信仰によっ…
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2016年1月3日 先週の説教を受けて 『神のもとから来た方です』

詩編 107編1節~9節 ヨハネによる福音書 9章24節~34節 ヨハネ福音書9章から盲人の癒しをとおして、主イエスが神のもとから来られた方であることを知る。前回は『預言者です』また、次回は『主を信じます』と盲人であった人の認識の深まりが明らかにされる。ユダヤ人はヨハネの時代にはキリストを認めず、自身が目が見えない者となっている。盲人…
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先週の説教(2015年12月20日)を受けて 『神はそのひとり子を』

詩編 118篇19~25節 ルカによる福音書 20章1~19節  クリスマスおめでとうございます!  今日の聖書の中の譬え話でイエス様は、農夫たち⇒律法学者・祭司長たち、ぶどう園の主人⇒神様、僕⇒預言者、息子⇒イエス様の役割を与えている。  律法学者・祭司長たちは、神様から受けた律法によって民衆を導くべきイスラエルのリーダー…
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12月13日 説教を受けて  「イエスは主」 

  イザヤ書55章1~5節、マタイによる福音書1章1~17節  旧約聖書に続く新約聖書の最初の福音書であるマタイによる福音書がイエス・キリストの系図で始まっていることに、神の救いのご計画、主イエスの福音が凝縮して示されている点で改めて注目しなければならない。マタイは主イエスが旧約で予言されたメシアであることを信じようとしないユダヤ…
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2015年12月6日 先週の説教を受けて 『預言者です』

エレミヤ書 31章31節~34節 ヨハネによる福音書 9章13節~23節 11月8日には目の見えない人への癒しはクリスマス、主イエスの誕生を待つアドベントの出来事を証していること、イエス・キリストはどなたか、と、イエスに対する告白であることが語られた。続く今朝の箇所、『預言者です』は神の力、支配、一方的な恵みを表している。ファリサイ…
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先週の説教(2015年11月15日)を受けて 『礼拝の恵み』

詩編 42篇2~6節 ヨハネによる福音書 4章1~30節  イエス様は「サマリアを通らねばならない」Mustな課題があった。それは、唯一つ、サマリアの女に出会い、彼女の心の渇きを癒して本当の救いに導くことであった。「あなたがたがわたしを選んだのではない。わたしがあなたがたを選んだ。」(ヨハネによる福音書15章16節)とあるように…
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11月8日 先週の説教を受けて  「神の業が現れるためである」

  イザヤ書35章1~20節、ヨハネによる福音書15章12~20節  生まれつきの盲人を目が見えるように癒されたシロアムでのイエスの奇跡の出来事から私たちが学ばねばならないことは、信仰において私たちもすべて生まれつき目の見えない者であるということである。「いまだかって、神を見た者はいない。父のふところにいる独り子である神、この方が…
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先週の説教(2015年10月18日)を受けて 『御腕に堅く抱かれて』

申命記 31章1~8節 ヘブライ人への手紙 13章1~5節  本日のヘブライ人への手紙13章には、クリスチャン(御言葉を信じた者)の生活について細かく記されている。信仰生活と日常生活は二つに分かれておらず、信仰とは生きることそのものであり、裏表なく生きることが福音に生きることである。しかし冷静に考えてみると、ここに記されているこ…
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10月11日 先週の説教を受けて 「主のものとされる喜び」

  申命記 15章12~18節、ローマの信徒への手紙14章7~8節  今日は神学校日ですが、正確には「伝道献身者奨励日」と言います。神学生を礼拝説教に招き、また、将来牧師となる献身者が起こされることを祈る礼拝ですが、献身が意味するところはその事だけに限りません。牧師も信徒もすべてキリスト者は献身者であることを覚えましょう。今日…
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2015年9月20日 先週の説教を受けて 『ライフスタイル』

詩編 146編 1節~10節 使徒言行録 14章8節~19節  今日の聖書の箇所ではパウロのリストラでの伝道の様子、癒しの業が記されている。足の不自由な男はパウロの語るみ言葉に熱心に聞き入っていた。癒されるにふさわしい信仰を認めたパウロは「自分の足でまっすぐに立ちなさい。」と言うと男は躍り上がって歩き出した。これを見てパウロとバル…
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9月13日 先週の説教を受けて 『大切だから探す』

敬老ファミリー礼拝 説教   ルカによる福音書15章1~7節  今年の教会学校のサマ―・スクールでは「無くしたけど、みつかった!」というテーマでルカ福音書15章の「見失った羊」、「無くした銀貨」、「放蕩息子」の3つのイエスのたとえについて学んだ。見失った羊のたとえでは、百匹の羊のうち一匹を見失った羊飼いが、その一匹を見つけ出…
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先週の説教(2015年9月6日)を受けて 『真理はわたしを自由にする』

出エジプト記 3章13~14節 ヨハネによる福音書 8章21~38節 『聖書の伝える真理』とは、「信仰と、希望と、愛、この三つは、いつまでも残る。その中で最も大いなるものは、愛である。」(コリントの信徒への手紙Ⅰ 13:13)にあるとおり、父なる神様から遣わされ、ご自身の十字架と復活の出来事で愛を示してくださったイエス様こそ、真…
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8月9日 先週の説教を受けて 「回復された私達」

  創世記11章1~9節、使徒言行録2章14~21節  ノアの洪水の出来事の後、「世界中は同じ言葉を使って、同じように話していた」が、主は全地の言葉を混乱(バラル)させ、彼らを全地に散らされた。彼らが、「さあ、天まで届く塔のある町を建て、有名になろう。そして、全地に散らされることのないようにしよう」と言ったからである。天まで届…
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2015年8月16日 先週の説教を受けて 『沈黙に響く神の愛』

出エジプト記 23章12節~13節 ルカによる福音書 14章1節~6節 ファリサイ派、律法の専門家たちは律法を守ることに関して自負している。今朝の箇所では安息日に病気の癒しをされるイエス様に論争を仕かけているが、論争はなさらない。 イエス様の問に答えることができず沈黙している人々の姿が記されている。イエス様の本当の思いだけが響いてい…
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